もぬけの殻になった部屋。
それを見ても、意外なことに不安な気持ちにはならない。この状況に危機感がないとか、慣れているとかいうわけではなく、
ただなんとなく不安な気持ちにはならないだけだ。しかし、この状況を作り出した原因と協力者には、それ相応の注意が必要だろう。
「姫様がいないのだけど」
誰も居ない空間に言葉を投げたのは武田軍の少女参謀――。
そう言葉を投げたの顔は無表情で、怒りも悲しみも、そして不安もない。
ひたすらにそれは無の状態を保ち続けていた。誰かに向けた言葉を口にしたようすのだったが、
誰も居ない部屋に向かって言葉を投げたのだから、
当然のように返答は返ってこず、しんと静寂が空気を支配していた。だが、それでもは再度、
空になった武田の姫――の部屋に向かって「姫様がいないのだけど」と言葉を投げた。
「…………」
しかし、相変わらず空気を支配するのは静寂で。
の言葉はまた独り言になってしまった。不意になにかを諦めたかのようには「はぁ…」と深いため息をつく。
やっと感情を取り戻したかのように、幼さ残るその顔に呆れたような表情を見せると、また無表情になった口を開いた。
「そんなに減給して欲しいのね。わかったわ。兄上に頼んでー―」
「はーい、降参降参!だから減給だけはご勘弁を〜」
の言葉を遮って現れたのは真田忍隊の長――佐助。
どうやら、先程からが口にしていた言葉はすべて佐助に向けられていた言葉だったようだ。のご機嫌を取るかのように、
佐助はポンポンとの肩を叩きニコニコと笑顔でやり過ごそうとするが、
それで流されてくれるほどは甘くはなかった。
「……改めて言うけど、姫様がいないのだけど」
「(あくまで俺の口を割らせたいのね…)」
どうやっても誤魔化されてくれそうにないの対応を目の前にして、佐助はこれ以上誤魔化すことは無理だと悟る。
毎度毎度、態々な対応をとるに対して「真面目だねぇ〜…」と、
感心半分、呆れ半分の感想を抱きながら、佐助はにことの全容を話した。
破られた約束
「(今日も甲斐の民は皆、笑顔ですね…)」
1人のんびりと甲斐の城下町を歩くのは、武田の姫君――。
町人に扮した服装はしているものの、彼女の持つ独特の雰囲気が町人というポジションに馴染まないようで、
町の人間ではないということは勘の鋭いものであれば勘付くことができた。しかし、この平和な甲斐の城下町にの違和感を敏感に感じとることのできる人間などそういるものでもなく、
はあくまで一町人としてこの甲斐の城下町を楽しむことができていた。武田の姫――その名が重いわけではない。
だが、やはり未だに姫という立場に対する抵抗感というか、違和感というかな感覚をは持っている。
普段、城内で自室に篭っているのも、姫としてどう相手と接していいのか分からないのが原因だ。義父である信玄は、に対して姫らしくあれとは言わず、
らしくあればそれでいいと言ってくれるが、それではが納得できない。義理の娘とはいえ、自分は武田の総大将、武田信玄の娘なのだ。
一国の姫として相応しい振る舞いをするのが最低限の勤め。
それが信玄への恩返しでもあり、自分を守り養ってくれている武田の人間へ返せるもののはず――。そんな思いがの中にはあるのだが、
やはり「姫」という立場への抵抗感は拭えず、未だに「姫」、「姫様」と呼ばれるのは正直苦手だった。
「(いけませんね、こんな調子では)」
不意にのしかかった自責の念を振り払うようには軽く頭を振ると、気持ちを切り替えるためにすっと視線を空へと移す。
青い空と白い雲は、曇っていたの気持ちを晴れやかな気持ちにしてくれた。明るさを取り戻したは、頭を切り替えると、
城の者たちに内緒で城下に下りた目的を果たすために、視線を空から町へと下ろそうとしたときだった。不意に、見慣れた影がの目に飛び込んできた。
「あれは……焔夏…。……ということは…」
「ひ〜め〜さ〜まぁあ〜…!!」
「ひゃっ?!」
空へ視線を向けていたの背後から、地を這うかのような女の声が響く。
突然のことには怯えたような声を上げてビクンと跳ねる。
しかし、よくよく情報を整理してみると自分の背後に立っている人間を予測することは簡単だ。そして、その相手が自分に対して悪意を持っていないことも確かだ。
――まぁ、怒ってはいるだろうが。
「殿…」
の予想通りに自分の背後に立っていたのは空を舞っていた鷹の焔夏の主人――。
またしてもの想像していたとおりにの表情は不機嫌そうな色が濃く浮かんでおり、
完全にご立腹状態なことがよくわかる。しかし、この現状では言い訳しようにも言い訳できる糸口が見つからず、
どう言葉を返せばいいのかが戸惑っているうちに、の方が先に口を開いた。
「どうしてこちらに姫様がおられるのですか」
「…そ、その……城下の散策に…」
「そうですか、甲斐の現状を知るためにはよい事だとおもいます。
――ですが、共の者はどうされたのですか」
容赦のないの言葉に、は言葉をつまらせる。
どう言葉を返していいのかわからずがオロオロと戸惑っていると、
不意に目の前に居たがから視線を離し、困ったようにため息をついた。
「まったく、佐助には困ったものです。姫様を置いて城に戻るなんて――
帰りはどうするつもりだったんでしょうね」
次にが口にする言葉は自分を責める言葉だと思い込んでいた。
しかし、その予想に反して、の口から出た言葉はを責めるものではなく、なぜか佐助を責める言葉だった。はの言っていることの意味が分からずキョトンとしていると、
平然とした様子では「どうかされましたか?」とに尋ねてくる。
急に話題を振られたは一瞬驚いたものの、
深呼吸をひとつして落ち着きを取り戻すと、に対して抱いた疑問を口にした。
「怒っていないのですか?その…私が城を抜け出したことを……」
「抜け出したのですか」
「え、あの…それは……」
思わず出てしまった本音というか、事実というかな――城を抜け出したことを自ら認める言葉。
に指摘されてから自分が口走った言葉にはっとするが、それではあまりに遅すぎる。
感情の読めないの視線を受けながら、言い訳すべきか、謝るべきかが悩んでいると、
らしくもなく、の答えが出るよりも先にまたが口を開いた。
「今回は佐助が姫様の共の任を投げ出した――そう受け取ります」
そうは言い捨てると、相変わらずの無表情でにこれからどうするのか尋ねた。
もちろん、外出が認められたのだからはまだ城下を回っていたい。だが、これからとともに城下を回ることになる以上、
喉に支えるような不快感を排除しないことには居心地が悪くて仕方がない。
今の自分の立場が悪いとを理解しながらも、は思いきって自分の気持ちをに伝えた。
「殿…どうして私を『姫様』と呼ぶのですか……」
悲しみを含んだ声音でに問うに、思わずも罪悪感に「うっ…」と表情をゆがめた。昔交わした約束。
それはと「姫」と呼ばず、「」という名前を呼ぶというもの。散々はそれを拒んだが、悲しそうなと、に味方した義兄――幸村に負けて最終的にはその約束を交わし、
それ以降は公の場以外ではのことを「姫様」とは呼ばず、「様」と呼んでいた。その約束は今まで破られることはなく、ずっとはとの約束を守っていたのに――。
拒絶にも思えるの反応にの心は締め付けられるようだった。
「様がいけないんです。
何かあったら頼って欲しいって言ったのに、何も言わずに城を出るから……」
「殿…」
「なのに……これじゃ私が悪者じゃないですか」
の視線から逃げるようにフイとは顔を背けると、
ムスッとした表情で自分の言い分を言った。確かに、の言い分も一理ある。
約束を破ってしまったのは――も同じなのかもしれない。の中で、城を抜け出したこととは別の理由での謝罪の念が生まれる。
に対してすまないと思いながらはの手を取った。
「殿、もうしわけありません…。不安な思いをさせてしまって……」
「…そ、そう思うのでしたら、これから城下に下りるときは私に言ってくださいね?!」
「はい、そのときはよろしくお願いします」
照れ隠しか半分怒鳴るような感じで言うに、はやっと自分の知るの姿を見て嬉しそうに微笑む。
それがまたの照れくささと恥ずかしさを煽ったようで、居心地が悪そうに「う〜…」と唸った。そんなの姿を可愛らしく思いながら、はの手を取ると「行きましょう」と言って笑顔を浮かべる。
すると、なぜだかは少し拗ねたような表情を浮かべたが、
「はい」と返事を返すと、に手を引かれるまま歩き出した。
■いいわけ
ウルトラスーパーパイパーに翅水様をお待たせしてやっとこ完成しました戦国BASARA共演夢でございます。
翅水様…!本当に馬鹿みたいにお待たせしてしまって申し訳ありません……!!!
なかなかにさんの心理描写に勝手解釈満載ですが、楽しんでいただけたら幸いです…!
本当に楽しんで共演夢を書くことができました!翅水様には本当に大感謝です!ありがとうございました!
この作品は、翅水様のみ転載可です。